東シナ海流71 海で省エネお洗濯
海へお洗濯に出かけた。
山へ鹿狩りにも行きたいが、溜まっている洗濯物が先だ。
寮は八畳4間の古びて壊れそうな一軒家で独り住まい。
八畳一部屋には脱ぎ捨てた衣類が山積み。見た目は1トン近い。
洗濯機はあったが面倒なのでほとんどしない。
パンツは箱ごと1ダース買いを続けていたので、衣類の中の埋蔵パンツはおそらく・・どっさり
作業ズボンも相当買い続けている。
野人に春夏秋冬、盆正月新年の区別がないように、衣類も区別せず重ねて山積み、周年お正月のお供え物のようなものだな。
衣類にはこだわりもなく気にしないが、最も汚れてヨレヨレになるのはズボンで、何とかしないと格好悪い。
作業ズボンを10枚近く持って海へお洗濯に出かけた。
永田集落から車で走ること20分、一湊港に到着。
停泊中の全長14m・14トンの「朝凪」に乗り込みエンジン始動、1人で出航した。
お洗濯器材にしては巨大だが、まあよい。
港内を出てから洗濯スタンバイ。
ズボンを吹き流しのように2メートル間隔で数枚ずつ2本のロープに固定、左舷と右舷からそれぞれ20mほど微速前進しながら流して固定。
スピードを中速にすると左右で色んなズボンが海面を飛び跳ねる。
ルアーをズボンに代えたトローリングだが、たぶん何も釣れない。
パイプ煙草をふかしながら10分間走り続け、ロープごとズボンを回収、ロープに固定したズボンはそのまま。
アッパーブリッジの手すりから2本左右の船尾に伸ばして固定、さらに10分間全速で走り続けた。
これはトローリングではなく鯉のぼり、いや・・ズボンのぼりだな。
帰港するとズボンは完全には乾いていないが、デッキに放っておけば陽光ですぐ乾く。
野人の洗剤不要・省エネお洗濯と脱水と半乾燥はこうして終わったが、ズボンは素晴らしく奇麗に変貌していた。
完全に乾くと所々潮が吹いて波打った白いシマシマが出来ていたが問題ない。
バタバタとはたけば乾いた潮は落ちる。
洗濯時間もコインランドリーと大差ないが・・
数百円のコインランドリーに比べて、燃料代が少し高くついた程度。
いや、船もエンジンもデカ過ぎるし、省エネお洗濯にしては相当高くついたかも・・
まあ細かいことは気にしない。
それから数か月後、故郷の大分県津久見市から母が屋久島にやって来て、野人ハウスに泊まった。
屋久島見物を楽しみにし、お野人も案内する気満々だったが、やんごとなき事情で中止、母は屋久島見物することなく帰路についた。
屋久島最後の言葉は・・
「ああびっくりした 心臓に悪かった」
その気持ちはわからんでもないが、そこまで頑張ることはない。
自業自得、一人相撲と言いたかったが、可愛そうで言えなかった。
何もせず放っておけばよかったのだが・・
母は2日間、朝から晩までお洗濯に励んだ。
旧式の洗濯機で・・
やっても、やっても終わらない「地獄のような洗濯」と言い放った。
衣類を掘っても、掘ってもパンツが出て来て、数えたら100枚以上、脳卒中の恐れもあったらしい。
「布団のシーツは週に一度くらいは洗いなさい」
「母ちゃん・・布団もシーツも 1年そのままじゃ」
「1年にしては随分奇麗だったような・・」
絶句する母に・・
「人間 身も心も清く正しく生きれば シーツもシャツも汚れん」
「・・・ ・・」
困らないから、ここまで来て洗濯などしなくていい・・と言いたかったのだ。
屋久島見物出来ずに親不孝だったのか、久しぶりに野人の世話を焼かせて親孝行だったのかはわからないが、喜んで帰ったから終わりよければすべてよしだな。
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