「存在」の意義
科学によって証明されることが「存在」の前提なら、自らの心は存在していないと言うことになってしまう。
植物である野菜の本質を説く為に「生命力」は避けて通れない。
生命力とはそれらの生命を育む本来の力。
それらが証明出来ない科学は、見える世界の「成分」しか語れず不自由なもの。
生命は生命によって育まれる、それが生命誕生から今日に至るまでの普遍の原則。
生命力とは意思を持ったエネルギーであり電気の集合体。
動物では体全体を指揮する電気の経路が「神経」であり、電気意識体である心は自らの電気を放出する。
バッテリーのようなものだが、容量が減れば充電しなければならず、それが睡眠だ。
空気中からの充電が終われば自動的に覚醒する。
肉体細胞は疲れることなく睡眠中も省エネ活動を続け、寿命が来れば個々の細胞は自動的に入れ替わる。
成分養分、今の栄養学、健康の常識に固執する限り気付くことはないだろう。
動植物すべてに心があるのは当たり前であり、心とは何か、何によって保たれるのか。。
心身ともに何の問題もない野生の動植物と問題ばかりの人間、及び人間が関与した動植物、その明確な違いをよく考えてみるとよい、
心は見えないエネルギー、体もまた見えないエネルギーから生まれた有機物。
エネルギーの補充はエネルギーであり、栄養、成分、酵素や特定のミネラルではない
数億年費やして生き物達が築き上げた仕組みを壊せば彼らだけでなく、人もまた生きて行けない。
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